ゆっくり、でも確かに近づいていた“限界”

ずっと頑張ってきたんだよね。
「ちょっと行きたくないな」って言いながらも、ランドセルを背負って。
でもある日、ぷつんと糸が切れるように、学校へ行けなくなった。
小学5年生の娘が不登校になるまでの、静かで苦しい道のりをまとめました。
小学5年生、2週目で学校に行けなくなった日
私の娘は、小学5年生の1学期、2週目から不登校になりました。
でも実は、それは“突然のこと”ではありませんでした。
ずっと続いていた「ちいさな行きしぶり」
思い返せば、小学1年生のころから、登校渋りはありました。
「1日休んでから行く」「今日は行きたくないけど明日は行く」
そんな風に、だましだまし日々を重ねながら、
何とか学校へ足を運んでいたのです。
4年生になると
、その“だましだまし”も少しずつ効かなくなってきて、
特に月曜日の登校が難しくなってきたり、
週の中でポツンと1日休むことも増えました。
「自分の気持ち」を伝えることで起きた人間関係のトラブル
それでも、頑張って登校を続けていた娘。
けれど、
ある日ちょっとした人間関係の行き違いから、
トラブルが起きました。
──「私はひとりで学校に行きたい」
「ひとりの時間が好きなの」
誘ってくれたお友達に、そう伝えた娘。
決して悪気があったわけじゃない。
でもその気持ちはうまく伝わらず、
結果的に“お友達を傷つけた”ことになってしまいました。
そのことだけじゃなくて、
ほかのことでも正直に自分の気持ちを伝えたはずが
お友達とトラブルが起きてしまって
親御さんが出てくるほどの“大ごと”に。
そのあたりから、
人間関係に不安を感じるようになっていったんだと思います。
クラスの空気と、やり返してしまう性格
さらに、娘のいたクラスは
「クラス崩壊」になりそうなほど荒れた雰囲気もありました。
男子生徒の暴言や攻撃的な発言。
いじめともとれる内容。
言われた女子の中にはスルーできる子もいたけど、
娘は「スルーできない性格」。
言われたら黙ってられない。
どうしても飲み込めずに言い返してしまう。
「やめて!」
でも、
それがまた火に油を注ぐ形になって、
その男子生徒に伝わってしまう。
そしてまた、ターゲットになって言われる。
暴言を言われた方は悪くないんだけどね…
そうして、
クラスに入れないほどの不安になっていきました。
4年生の3学期、娘は教室に入れず、別室登校となります。
別室登校、頑張ってました。
その男子と離れているから大丈夫って、勉強も運動も。
この頃は、部活も楽しくやれていました。
新しいクラス、新しい先生、でも…
5年生になり、その問題の男子とは別のクラスに。
担任の先生も変わって、
心機一転── 「今度こそ、頑張ろう」
そう言って、
娘は1週間、頑張って学校に通いました。
でも、2週目に入ったところで突然、
「もう無理」と言って、
学校へ行けなくなったのです。
もうこれまで、一生懸命頑張ってきた。
行きたくないって言った日も
私の仕事の都合があったり、
甘やかしたらダメだって思って
「頑張っていこう!」って
泣いてる娘を学校にお願いして
仕事に行ってたこともあったんです。
でももう、娘の限界だなって感じて
行かせるのを辞めました。
つらいところにいくの、無理するくらいなら
家で穏やかにいればいい、そう思って。
私は覚悟、決めた。
「ふつうになりたい」って泣いた夜
娘は学校に行ってた時には、
時々こんなことを言いました。
「自分はみんなと違う」
「ふつうになりたい」
「転校したい」
「人生を積みなおしたい」
でも、学校では合唱部に入って活動したり、
楽しめている時間もたしかにあった。
お友達との時間も好きだって言ってた。
自分でも「なぜ行けないのか」がわからない
── それが、いちばん苦しい状態だったと思います。
ギフテッドと凹、そして“気づく日”
4年生のころにスクールカウンセラーさんに相談した時、
「この子はギフテッド傾向があると思う」
「でも、どこかに凹(デコボコ)(=発達のアンバランスさ)があるかもしれない」
(※ギフテッド=特定の分野において特異な才能をもつ子)
と言われていました。
それを聞いたとき、私はびっくり。
え?なんだそれは?が正直な感想でした。
その時、
「いつか“自分が周りと違うかもしれない”って気づいたとき、 この子はつまずくことがあるかもね」とも。
──そしてその言葉どおりになったのです。
不登校になってからのこころの状態
学校を休み始めた当初は、
家で落ち着いているようにも見えました。
けれど、数週間経ったころから、
家で泣き出したり、
暴れたりする日が増えていきます。
そこでスクールカウンセラーさんから聞いていた
○○病院を受診。
脳のMRI・脳波を検査。
診断としては「強めの音声チック」。
処方された漢方「抑肝散」を飲むと、
少しずつ落ち着きが戻ってきました。
「無理して学校へ行かなくていいよ」
これは、カウンセラーの先生が言ってくれた言葉です。
「学校が怖くて泣き出してしまうなら、 ムリして行こうとしなくていいよ」
「やりたいことがあるなら、家でとことんやればいい。 それで食べていけたら、最高じゃない」
「高校だって、通信制もある。道はいくらでもあるよ」
──その言葉で、娘は本当に安心したようでした。
発達障害の疑いはグレーのままだけど
スクールカウンセラーさんに言われたこと。
「ギフテッドかもしれない、でも凸凹があるだろう」
これは、発達特性があるかもしれないということ。
スクールカウンセラーさんからは
ASDの可能性、ADHDもあるかもしれない、HSCはあるだろう
母子分離不安もあるよね、と
言われています。
本来なら、不登校になって
発達の検査をすればいいのかもしれません。
でも、なかなか
児童の精神病院をすぐに受診することができず
予約もいっぱい。
なので、保留となっています。
なんとか繋がった成人向けの精神科には行けてますが
そこでは睡眠のお薬をもらって飲んでいるのみです。
(不登校1か月くらいで、昼夜逆転になりました)
8月現在、そのお薬によって
昼夜逆転は治っていて、情緒は一時より安定しています。
ただ、根本の発達障害の疑いの部分は
正直わかっていません。
(現在の精神科では、医師の口からは
発達障害という言葉すらでてきません。)
なので、今後は
睡眠のリズムは今のまま継続するために
成人向けの精神科への受診を続けて
児童精神科の受診を待とうと思っているところです。
(とはいえ、現在の精神科を娘は受診拒否しているので、
私が代わりに診察に入り、薬飲みいただいている状況なのですが…)
受診拒否の理由はまた別の記事で詳しく説明しますが
娘曰く「圧があって怖いから行きたくない」と
初診以来行けていません。かなり繊細な娘です…
今は、“明るい不登校”という在り方を探して
今、娘は「不登校」だけれど、
でも「塞ぎこんでいる」わけではありません。
そして、結局のところ、
不登校になった直接の原因ははっきりわからない…
自分の好きなことを追求して、
ゲームや絵、動画制作に夢中になったり、
学校の友達と遊びに出かけることもある。
1人で自転車に乗って駄菓子屋に行ける。
友達の家に泊まりにも行ける。
そんな娘の姿を見て、
私たちは“明るい不登校”という新しい在り方を模索しています。
不登校はゴールじゃない。
始まりであり、過程。
いつかまた行きたくなったら行けばいい。
でも、今は「今のこの時間」を大事にしよう。
そう思っています。
娘の今後も、ブログに残していこうと思っています。
不登校に悩む親御さんに
少しでも伝わればいいなと思います。
私自身、
娘が不登校になった当初
かなり無知であり不安も多かった。
今も不安なことに変わりはないけれども
インターネットを見て
沢山の経験談に救われたり
勉強になったので
私も書き残していきたいと思っています。
いつか、娘のためになるかもしれないし、
不登校のお子さんをお持ちの親御さんにも
ぜひシェアしていきたいと考えています。
いいね♡コメント大歓迎です。
同じように、子どもの“不登校”に戸惑っているママやパパへ。
「うちだけじゃない」って思える瞬間になりますように。
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